ごく普通の彼は、ごく普通の高校生で、ごく普通の生活を送っていました。
でもただヒトツ違っていたのは、ツー助は神の子孫だったのです!
……と、いきなり懐かしの海外ドラマネタでボケてみましたが、大筋は間違っていません。
そして、最初の三行からあなたはどんな内容のストーリーAAを想像しましたか?
たぶん、その想像の半分は当たっていて、半分は外れていると思います。
今回はネタバレ大有りのAAレビューですので、作品未読の方はご注意ください。
保管庫:ツーチャンレクイエム (Ascii Art Library)
主人公のツー助はどこにでもいる平凡な高校生――成績はなんとか中の上程度を保ってはいるけれど、
本当はもっとがんばらないと、このままではいけないということは自分でもわかってる。
でも、やっぱりそんなのめんどくさいし、いくら努力したってそれが必ず報われるとは限らない。
そして、将来のことを考えるといつも漠然とした不安があるけれど、明確な目標も特に持てない。
かといって、恋人がいたり部活に励んだりといった青春らしい青春を送っているわけでもない。
日々の生活は平穏ではあるけれど凡庸で、両親にそれなりに感謝はしているけどあれこれウザい。
家でやることといえばせいぜい好きなTVゲームぐらい…………。
現役高校生もそれをとうに過ぎた人も、思い当たる点や自分と重なる所がいくつもあるのではないでしょうか?
それぐらいごくごく平凡なはずのツー助は、実は人類創生に関わった神の血を引く者なのでした。
単なる普通のつまらない人間が、実は選ばれた特殊な存在であったというのは、
様々な物語の定番設定と言っても過言ではないでしょう。
この「ツーチャンレクイエム」もそんな物語のうちの一つというわけです。
序文で、「その想像の半分は当たっていて、半分は外れていると思う」と書きましたが、
ツー助は葛藤しつつもその特殊な力を使い、何かを守ったり何かと戦ったりし、
最後にはそれを成し遂げるのだろう、というのがおそらく普通の想像でしょう。
実際、ツー助は葛藤し、自身の持つ特殊な力を自覚し、それを使いこなすべく努力もします。
敵らしい存在もおり、このままでは地球が滅びるという大変な状況にもなります。
また、成長した彼は結婚し子供も出来て、守るべき物も持っています。
ここまでは誰もがだいたい予想し得ることだと思うので、「半分は当たっている」部分なわけです。
普通ならここから先は、ツー助の持つ特殊能力で“敵”とバリバリ戦い、
最後には、もしかしたらツー助自身は命を落とすことがあっても、大切な物は守りきる……、
というのが規定路線だと思うので、ここが「半分は外れている」部分というわけです。
実際は、ツー助は持てる力で戦いません。
守るべき者達と共に滅びることを選択し、あっさりとそれを受け入れます。
こうして最終回のオチだけ書くと、ツー助がずいぶんといい加減で情けない人間のようですが、
決してそうではないというのがこの作品の奥深いところです。
たとえ内に神と同等の凄い力を秘めていたとしても、平凡な人間として育ち、平凡な生活を送るツー助。
彼はいつの間にかその平凡の中に真の幸せを見出していたのです。
楽しいと思える事が見つかり、さらにはそれを仕事としてなんとか自活できるようになり、
やがて伴侶を得て、二人の間には子供も生まれます。
平凡すぎるごくごくささやかな幸せ。
けれど、その平凡でささやかな幸せこそがかけがえのない物であると、成長し大人になったツー助は
わかっているからこそ、あえて何もせず滅ぶことを選ぶのです。
「人間として生まれたことが幸せだったと思えるから、あえてこの翼は捨てて
一人の人間として他の全ての人間と同じように地球と運命を共にします。それでは。」
これは作中のツー助最後の台詞ですが、ここに作品のメインテーマが集約されているように思います。
いわゆる思春期である中高校生時代は、「自分が平凡な人間である」というのは、
まず認められない、認めたくない現実の一つです。
自分は凄い人間である、特別な人間である、何かを成し遂げる人間である、やればできる人間である。
でも、それが上手くいかないのは、世間や周りに理解が無いせいである。
このような感情は多かれ少なかれ、思春期には誰もが持つ普通の感情です。
「社会の歯車になりたくない」などというよくある言い回しもこの感情の表れの一つでしょう。
しかし人は成長することで己の平凡さを知り、それを噛み締め、そして受け入れ、
逆に平凡であることのありがたみというのを知っていくのです。
ところで、2chではその人の実年齢に関わらず、子供っぽい人のことを「厨」や「厨房」と呼びますが、
「ツーチャンレクイエム」では、ツー助の持つ神の力は「『厨』の力」という名称になっています。
そこに作者はどういう意味を込めたのか?
深読みすればするほどこれは絶妙なネーミングだと思えてきます。
そういえば紹介が遅れましたが、この話の作者は◆/D8/honey2さんです。
(作品投下時には「越冬螽斯 ◆VOhoPPER1c」という別のコテ名を使用されていました。)
自分はこの人のストーリーテラーとしての才能に一目も二目もおいており、
当然、個人的大ファンなので、今後もAAレビューで取り上げることが多くなると思いますが、
個人ブログなんだから贔屓があって当たり前!と、この際、開き直っておきますw
さて、「ツーチャンレクイエム」にはツー助以外にもう一人、影の主役というべき人物がいます。
この作品はツー助達人間側の視点以外に、人類を創造した神側の視点の物語も進行するのですが、
そちら側の主役であるウララエルと、それを取り巻く神達のエピソードも大変面白く、
また、人間視点以上に力が入っているのではないかと思えるほど練りこまれた話です。
カタルシスやハッピーエンドとはまた違う、淡々とした終わり方に多少の物足りなさを
感じる人もいるかもしれませんが、粛々と運命を受け入れるのもまた一つの強さであり、
それに世界の終了なんて案外こんなあっけないものかもしれない、などということまで考えてしまう、
「ツーチャンレクイエム」とはそんな作品なのです。